私が大学を卒業した年のダービー馬は「オペックホース」でしたが、その2年ぐらい前から場外馬券売り場で大きなレースだけは購入してましたが、就職したこともあって時間的にも金銭的にも余裕があったし、アルバイトもしてたので土日祝日は競馬場で過ごすことが多くなりました。

 

この年に大好きになった馬が「モンテプリンス」でしたが、この馬は同世代では力が一枚上の存在でしたが、馬場が悪いと能力を発揮できないという欠点があって、「皐月賞」は泥んこの不良馬場で4着、「ダービー」は良馬場に恵まれたのに先行して早目に先頭に立ちゴール着前に「オペックホース」に差されて2着、三冠最後の「菊花賞」も良馬場に恵まれたのに「ノースガスト」に交わされ2着と三冠の一つは撮れると信じていたのに無冠で終わりました。

 

その後もG1で勝ったのは1982年の「天皇賞・春」と「宝塚記念」の2鞍だけでした。

1983年の「ミスターシービー」と1984年に「シンボリルドルフ」と2年続けて三冠馬が誕生して、私の競馬は完全に破綻してしまったのですが、実は「シゲ」さんもこの2頭で人生が狂ったようです。

 

「ミスターシービー」はデビューから「ダービー」までの7戦連続で連に絡んで、メチャクチャ強かったし父がトウショウボーイだったこともあり、出走すると有り金を全部賭けてしまうという無謀な方法を取ってしまったのです。

次の年も同じく三冠馬になった「シンボリルドルフ」ですが、こちらはもっと強かったですからもう大変、この2年間で競馬で身も心もボロボロになったのです。

 

好きな馬が勝っても馬券が的中できるとは限らないのに、目一杯の勝負をするのでボコボコに負けてしまい最後には身動きが取れなくなってしまったのです。

結局は父と母に泣きつく羽目になったのですが、コツコツと商売を大きくしていった父の家業を継ぐ約束をして、借金の清算をして故郷に帰る事になったのです。

妻にメチャクチャ迷惑をかけてしまい、家業を継いでからは25年間競馬は勉強するだけにして、東京へ出張の時は研究室に出向いて「シゲ」さん達と色々と研究結果を発表したりしていたのですが、大学を卒業した息子や娘たちに相談して家業継いでもらい、私と妻は自分達の夢をもう一度追いかける事にしました。

妻はデザイン専門学校に通いながらECショップを仲間と運営して、私は研究室に戻ってゼロから競馬の研究をやり始めましたし、若い人達からも刺激を頂いて新しい方法や、自分の間違いを訂正しながらやっと研究室の一員に戻れました。
競馬はギャンブルやっと冷静に勝負ができるようになりましたが、Pランクと占有率によってどこでどう勝負すればよいのかを理解できるようになりました。

皆さんも競馬で間違いを起こさないように、しっかりと注意をして楽しんで下さいね!
もう私も66歳、研究室に戻って既に10年以上が経ちましたし、今は毎日楽しく好きな事をやって生活ができる事を嬉しく思ってます。