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 研究室ができたのが32年前82年の6月25日、丁度「宝塚記念」(6月6日)で「モンテプリンス」が勝ったその6月の事でした。
「無冠の貴公子」と呼ばれた「モンテプリンス」は5歳の春に初めて「天皇賞・春」を勝って、この「宝塚記念」も連勝してG1馬となったのですが、クラシックは不運にも苦手な道悪の競馬となって負けてしまい、大好きな馬だっただけに悔しい思いをさせられた馬でした。

 この創設期の研究室は私と「神谷」さんという後輩と二人だけでスタート、そのすぐ後に「シゲ」さんと「ナカ」(中本)さんが入って、9月から本格的に活動を始めたのです。

その後「神谷」さんは競馬で失敗して1年間で辞めてしまったのですが、「シゲ」さんと「ナカ」さんが必死に活動して83年には60名を超える研究員数となって、毎日のようにみんなで勉強をしたものですし、競馬場へも良くいきました。
みんなそれぞれが研究課題を見つけ出しては購入システムを考えたりしていたので、私の「勝ち逃げシステム」を理解してもらうには時間が必要でした。

その間に徐々に脱落者が出たり、多額の借金をしてしまったメンバーもいて出入りが激しかったもので、「シゲ」さんも行方が分からなくなった時代もありましたし、何度も研究室を閉めようと思ったものですが、運が良く「勝ち逃げ」が上手く動いてくれていたので、私はお金に困ることもなく順調に研究が続けられました。

ところが競馬の資料が持ち出されたり、研究室のお金が無くなったりして「競馬塾」を開いたのをキッカケに一度解散して、「シゲ」さんと「ナカ」さんと戻ってきた「神谷」さんの4人だけで研究室の運営を立て直して、「競馬塾」でメンバーを決めるようになりました。

しかし、1年後にはまた「神谷」さんが些細なことで研究室を去ることになって、ずいぶんショックを受けたものです。 
この頃にはすでに「枠連」での「勝ち逃げ」で生活できるようにまでになっていましたし、海外にも目を向け始めた時期でもあります。

「シゲ」さんと行った「アメリカ」や「フランス」、「ナカ」さんも一緒だった「オーストラリア」や「香港」・「シンガポール」も楽しい思い出がたくさんあります。
そんな中、「フランス」の「パリ」に部屋を借りて「勝ち逃げ」を始めたのですが、日本から連れて行ったメンバーが購入資金を持ち逃げして、2年を待たないで「パリ研究室」は閉めることになりました。

こんな世界ですからこれが普通なのかもしれないのですが、世の中の厳しさを思い知らされた時期でもありました。
でも、いろいろと思いついたことを実行できたし、毎日が新鮮で楽しいものでした。

「シゲ」さんと観戦した「凱旋門賞」は忘れられない思い出になっていますし、夜中に到着した「スイス」の観光地ではホテルが取れなくて、寒くてこのまま死んでしまうのかと思ったハプニングもあって、民家に泊めていただいて事なきを得たのですが、いろいろな思い出があります。
いろんな国でいろんな人に助けられたり、いろいろな幸せをいただきました。

きっと苦しく辛い思いを沢山したので、楽しみがあるのだと今は理解しています。
みなさんも「競馬」思いっきり楽しんでください。