11年の震災以降に慌ただしくいろいろとあって、事務局も研究室も工房も秦野市「鶴巻温泉駅」近くに移ったのは、仕事環境や生活環境を考えての事だと思っていたのですが、「シゲ」さんからその真相を聞かされてビックリしてしまいました。
震災当時、東京都町田市にあった事務局と工房は徐々に狭くなって、研究室は別の場所にマンションを借りてという状態でしたが、震災の時被害はなかったもののライフラインが止まってしまい、一時的ではありますが自宅に帰るのも非常に困難な状態になりました。
とことが、震災時「鶴巻温泉駅」近くで液化現象が起こり、土地の価格が大幅に下落することになり、町田市の物件を売ればその3倍もの土地が買えることが判明、秦野市に以前から住んでいる「ボス」の号令で、全員がさらに資金をだし合って移動することに決めたそうです。
不動産の勉強をしていた、「創」さんの後押しがあっての移動だったようですが、液化対策としていろいろな工法があったようで、「シゲ」さん達はその対策をした上で家を建てたというのが真実だという事でした。
太陽光パネルや蓄電装置なども、試行錯誤を繰り返しながら1年近くの時間をかけて、環境を整えていったので、今回は4世帯が住んでいたテラスハウスをリフォームして、工房(1階)、事務局と研究室(2階)にしたのです。
この4世帯には事務局のスタッフが住んでいたのですが、みんな結婚するので1戸建てを購入して移りましたので空き家になったのを、上手く利用したようです。
これを機に「ボス」は引退することを決めていたようで、61歳になる前に一研究員になり、「シゲ」さんが事務局長、「中本」さんが研究室長に就任して更なる研究をする予定ですが、これからが楽しみです。
引退しても特別室に閉じこもって何かをしている「ボス」は、これまでともちっとも変わらないメタボのおじさんですが、なんとなく雰囲気が優しくなったような気がします。
でも、あの震災以降ここならある程度のライフラインが確保できると思ったのは、「ボス」だけだったようですが、土地が安い、太陽光が得られやすい環境、水が豊富、そして温泉があることなど、将来を考えて移動したという事です。