JUGEMテーマ:競馬
私ももう55歳になりましたし、競馬歴も33年目に突入です。
何時ものように毎週競馬を楽しんでいますが、もう33年も経つと思うと色々と悩んだ事を思い出してしまいます。
ロマン派とギャンブル派に分かれることの多い競馬、何時までも平行線なのですが、私も最初はロマン派で良く負けていましたし、お金が苦しくなって100円単位で購入したり色々とありました。
第55回ダービー馬(1988年)「サクラチヨノオー」(3番人気)の年から競馬を始めたのですから、随分と長い間競馬と関わってきたように思うのですが、この時は2着「メジロアルダン」(6番人気)・3着「コクサイトリプル」(4番人気)・4着「ヤエノムテキ」(2人気・天皇賞秋)でした。
でも1番人気は「サッカーボーイ」(マイルCS)で15着と惨敗して、1着⇔3着・1着⇔4着・1着⇔15着・4着⇔15着と惨敗でしたが、種牡馬として「ヒシミラクル」や「ナリタトップロード」や「ティコティコタック」など数々の活躍馬を残しました。
何と「サクラチヨノオー」は小島太騎手(のち調教師)+境勝太郎調教師+さくらコマースの組み合わせ、パチンコが大好きな私は大のサクラファンでしたので、「サクラホクトオー」・「サクラバクシンオー」・「サクラローレル」等は忘れられない存在でした。
でも残念な事に毎年収支はマイナス、借金が増えるだけで徐々にロマン派から脱出し、同時にギャンブル派も卒業したのです。
研究室のメンバーが現実派と言われるようになったのが1990年頃ですから、そこからまだ5年くらいはマイナスゾーンで生活していたのですから自分でも呆れます。
本当にバカだと反省したのですが、それからは「湘南の戸建て」を目標に現実派のメンバーになったのです。
もちろん一から競馬の勉強をするようになって、色々な間違いに気付くようになったのですが、一旦踏み込んだロマン派から抜け出すにはとても長い時間が必要でした。
初期の研究員は殆どの方がこれを経験して辞めていく人が多かったので、当たり前の事だったようで研究室のメンバーは60人から6年くらいの間に7人だけになった事もありましたし、大切な友人も辞めてしまって後に復帰したのも3人だけと、とても厳しい世界だったのです。
それでも研究室が残ったのは時代が流れて、競馬の知らない現実派の若者が集まった事で、賑やかさを取り戻したのですが、現在の20代のエンジニア達は本当にロマン派とかはあり得ないという考え方ですので、すんなりとゲーム感覚で「勝ち逃げ」や「3コロガシ」を続けることができるのです。
時代が変わったのでしょうかと思う事もありますが、よく考えると自分が変われなかっただけなのですね?困ったものです。