JUGEMテーマ:競馬

 今回から「馬券師への道」というテーマで、これまで経験したいろいろな事を正直に書いてくださいとのこと、私の友であり長い間仲間だった「シゲ」さんと「中本」さんからの頼みですので、本音をさらけ出してみようと思いました。

 今(9月から)の生活は業務から完全に離れて、一研究員として競馬の研究は続けているのですが、ノンビリと映画を観たりテレビドラマを観たり、料理を作ったりで、寝たい時に寝てそれ以外はパソコンの前にいることが多いです。

温泉に出かけたりもしますが、旅行時以外は研究室とパソコン工房には毎日顔を出していますし、競馬のデータ分析は毎日欠かさずにやっていますので、結構忙しいですし今でもパソコンの組み込みでは、みんなに負けないと思ってちょくちょくやっているんです。

パソコンをの組み込みは結構楽しんでやっていますし、楽しいものです。

 今日は「楽しかった初期の競馬」という題で書きますが、私が競馬を始めたのは70年で18歳の時、先輩に連れて行ってもらった東京競馬場(当時は府中競馬場)でした。
その年のダービー馬は「タニノムーティエ」、後方から豪快に追い込む馬で印象的な1頭、半弟に「タニノチカラ」(天皇賞秋・有馬記念)がいる素晴らしい馬で惚れ込んでいました。

また、この年の「有馬記念」は「スピードシンボリ」が連覇して話題になりましたが、強敵であった「アカネテンリュウ」と2年続けてのハナ差とクビ差での死闘を制して、海外にも遠征して私達の夢を世界に広げてくれた馬でもあります。

1年くらいはレースを観るだけでしたが、この「スピードシンボリ」の有馬連覇がキッカケとなって次の年から馬券を購入するようになりました。
71年の確か「アメリカンJCC」が初めて馬券を買って的中したのですが、「アカネテンリュウ」の単勝だった思います。
 

この「アメリカンJCC」が今でも大好きなのですが、71年は東京の芝2,500mでしたが72年はインフルエンザの影響で4月に順延、東京の2,400mで行われ「メジロアサマ」が勝ち、73年「オンワードガイ」(この年に初めて枠連を買って的中)、74年「タケホープ」(この年から負け組に転落)、75年「ストロングエイト」(この年から勝ち逃げの研究スタート)、76年「ホワイトフォンテン」(いろいろな競馬の資料を集め始める)、77年「グリーングラス」(この年から4レース制・6レース制・8レース制・10レース制・全レース制勝ち逃げの資料の作成がスタート)と歴史を刻み、80年「カネミカサ」(シゲさんに初めて会いました。)、82年「アンバーシャダイ」(この年に中本さんと初対面)、83年「アンバーシャダイ」連覇(勝ち逃げの実験購入スタート、競馬サークルの発足です。)、86年「スダホーク」(大量の競馬資料が紛失、サークルの解散、シゲさんが行方不明になる。)、87年「ミホシンザン」(シゲさんがひょっこりと帰ってきました。)と、私の競馬人生に大きく関わったレースなのです。

 1月に行われていることもあって印象が深いのでしょうが、単勝の初当たりも、枠連の初当たりも「アメリカンJCC」という事で、思い出がいっぱい詰まったレースなのです。
83年の勝ち逃げをスタートさせた頃は毎週新宿で夜通し遊んでいましたので、悪さも結構しましたし会社ではほとんど仕事がない営業職、月曜日(定休日)の午後から木曜日までは温泉旅行というのも普通で、金曜日の夜から日曜日までの3日間が仕事という状態が続いて毎日が本当に充実していましたし、本当に楽しかったです。

それと86年11月からスタートしたバブル経済によって、真面目に仕事をしなくても給料がもらえた時代ですから、私はサイドビジネスでもある程度の収入がありましたし、この年に会社を辞めて本格的に競馬に取り組んだのですが、その年のショックは今でも鮮明に覚えています。
突然、競馬の資料(印刷物)が紛失し分析した新規データも無くなったのです。

偶然にも、3日ぐらい前に新しいワープロを購入してデータをフロッピーに落として保管しておいたので、その後の作業にも支障をきたすことはなかったのですが、管理していた「シゲ」さんは相当なショックだったようで、競馬サークルの解散、失跡へとつながって、「中本」さんと二人で必死に頑張って研究を続けました。⇔続く