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 私の夢「日本馬で凱旋門賞を!」は、もう一つの夢だった「馬券師(ギャンブラー)への道」と共に今日まで続いています。

馬券術についてはこれまで多くのことを、隠し事なく書き込んできましたので読んでいただければ幸いなのですが、今日のテーマは「凱旋門賞」ということです。

いつも向き合うと「日本馬」という言葉が頭の中によぎってしまって、冷静でない自分がそこにいるのです。 

99年「エルコンドルパサー」と12年の「オルフェーヴル」の時はもうゴール寸前まで勝ったと思ったくらいでしたので、その時のレース後の放心状態は1時間も続いたのを今でも覚えています。

99年はやっと日本馬(日本調教馬)も世界のレベルに近づいたと実感した年でもありましたが、12年は勝って当然と確信に近いものがあったのです。
これまで92回の「凱旋門賞」でフランス65回、イギリス12回、アイルランド7回、イタリア6回、ドイツ2回と優勝馬はすべて欧州調教馬と、南半球の馬もアジアの馬も優勝馬となると1頭もいないのです。

私と同じように、こんな夢を追いかけたのが「メジロ牧場」の北野豊吉さんと「シンボリ牧場」の和田共弘さん、69年に「スピードシンボリ」で「凱旋門賞」に挑戦のが和田さんでしたが、この二人が共同で輸入した種牡馬が「パーソロン」、そしてその子が「メジロアサマ」であり「シンボリルドルフ」なのです。
きっと二人は、海外で活躍できる馬を夢見て「パーソロン」を輸入したのでしょう。

ただ、この「メジロアサマ」はパーソロン産駒としては長距離で活躍したのですが、受胎率の問題でたった十数頭の産駒だけしか残せませんでした。

しかしその少ない産駒から「メジロティターン」が天皇賞馬となって、その産駒「メジロマックイーン」も天皇賞を制し父子三代天皇賞制覇をしていますし、他にもパーソロンの傑作と言われた「シンボリルドルフ」は3冠馬となりました。

その「メジロ」軍団の夢をのせて72年には「メジロムサシ」が「凱旋門賞」に挑戦、18着ではあったもののその意義は大きなものでした。
私もこの時期には馬券を購入していましたので、あの強かった「メジロムサシ」に夢を託したものですが、いつかきっと日本馬が「凱旋門賞」を勝てる時代が来ることを信じた年でもあります。

この年は樫山純三さんが所有していた「ハードツービート」(8着)や山本真一さん所有の「エリモホーク」(着外)も出走しており、この時に勝った「サンサン」は繁殖牝馬として、他にも「シャラプール」・「プルバン」・「サンシー」も日本に輸入されているのです。

この頃から「凱旋門賞」を勝てる馬を育てようと「凱旋門賞」で活躍した馬を、繁殖牝馬や種牡馬として日本に輸入するようになりました。