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 「一杯の珈琲に夢を託して!」と思ってから間もなく50年になろうとしていますが、私が生まれた年のダービー馬は「クリノハナ」(尾形藤吉厩舎・八木沢勝美騎手)、妻が生まれた年のダービー馬は「メイズイ」(尾形藤吉厩舎・森安重勝騎手)、東京競馬場に行って18歳の年に初めて見たダービー馬が「タニノムーティエ」(島崎宏厩舎・安田伊佐夫騎手)でした。

 

それでもその頃にはもう「凱旋門賞」の存在を知っていましたし、馬産地でもあった地方で育った私には、日常的に馬に乗る機会は他の人よりは多かった事もあって馬が大好きなのです。

こんないきさつが「一杯の珈琲に夢を託して!」に繋がったのですが、あれだけ強かった1969年の「スピードシンボリ」が着外となるのですから、大きなショックがありました。

 

 

画質が悪いのですが、2年連続の1着で2着も2年連続で「アカネテンリュウ」でしたので記憶に残っています。

この頃はまだ馬券を購入していませんので、レースを観戦するだけでしたが、その後、先輩に言われて馬券を買うようになります。

しかし、最初は良く的中していたのですが、勉強して競馬を覚えるとパッタリ的中が少なくなって毎週負けていました。

その頃から徐々に「勝てる競馬」をテーマに考える様になりましたが、それを教えてくれたのが「ハイセイコー」でした。

 

この馬は大井競馬でデビューして6連勝後に中央入りして、更に4連勝して「ダービー」に出走し3着と失速してしまうのですが、その後も中距離では勝てるものの、長距離では足りないレースを繰り返しました。

あれほど好きで応援してきた「ハイセイコー」が2400m以上がダメで、逆にライバルの「タケホープ」は1800m以下がダメと好きで馬券を買ってはいけないという事でした。

 

元々馬が好きで馬券を買わずに競馬だけを見ていた時間が長かっただけに、研究をしていく事に抵抗はなかったし統計を取ったりが好きだったので、何も問題はなく没頭することができました。

最初のテーマは「的中するレースが少なくてもプラスできる」でしたが、デスク上で色々と工夫してもプラスする日が少ないので、3か月でテーマは「レースを絞ってプラスを目指す」に変わったのです。

これも上手く行かなくて3期目のテーマは「1日1レースの的中でプラスになる」になって、初めて到達点が見つかったのです。

 

これが「勝ち逃げ」なのですが、最初は軸を自分で決めていたのでそれはもう酷い成績でた。

そこから悪戦苦闘が始まり、ほぼ10年間の苦悩が続きますし、その頃から沢山の仲間と共に研究を進めるようになったのです。

ここまでが「勝てない競馬」です。⇒次回は「勝てる競馬」と「勝てない競馬」の違い②!を書きます!