JUGEMテーマ:競馬
「ココモ式勝ち逃げ」はボスと私が出会った頃には既に構想が出来ておりましたし、それまでもそれ以降も紆余曲折が色々とありました。
「世界の必勝法」という本から「ココモ式」を見つけ出したボスは、それを競馬用にアレンジを始めたのですが、当時は「単勝」・「複勝」・「枠連」と3種類の馬券しかなかったので、利益を出すためには非常に難しい作業が必要だったのです。
それにすでに研究室の存在もあったし、みんなには相手にされなかった事もあり、取り組んだのは結局私と「ナカ」さんの3人だけでした。
ギャンブルの好きな人たちの集団なのに頑固で、自分の考えが反映されないゲーム感覚で勝負するなど、面白くないというのが最大の理由だったそうです。
今から30年以上も前の話です。
そんな中、研究室の資料が無くなったり、50名近くいた研究員は5人から10人くらいのグループが7つ位できて、収拾がつかなくなってバラバラになってしまい、研究室では競馬塾を創設して若い人達を育てる事へ転換をしたのです。
「馬連」が91年に発売されて「中本式勝ち逃げ」が大きく飛躍することになりましたが、「ココモ式勝ち逃げ」は「3連複」が発売される02年までは注目される事もありませんでした。
そして04年には「3連単」の発売がされ、05年から「3連複」で研究室内で脚光を浴びることになったのですが、ボスはそれを発表しようとはしないで、研究室だけで楽しむようにしたのです。
そしてこの年から本格的に「3連単」の実験購入が始まったのですが、完成まで丸3年必要でした。
この頃から競馬塾の第1期塾生(吾郎・両)さんと第2期塾生(道大・創・龍)さんらが合体して、研究室は賑やかになり研究にも力が入るようになったのです。
やはり「吾郎」さんの「馬を診る馬券法」は絶大な人気を誇りましたが、後継者が現れずに本人に負担がかかり病気になってしまったように、一人では背負いきれないプレッシャーがあるものです。
「ココモ式3連複」は13年、「ココモ式3連単」は10年とまだ短い期間ですがその成果は素晴らしいものです。
今でもブログの人気は「メインレースの通常買い」>「Win5」>「勝ち逃げ」の順ですし、しっかりと資金準備が出来る人も少ないので、本格的な募集活動もしないでやってきたのです。
3人の創設メンバーが諦めずにやって来たからこそ今の研究室が残されたわけですが、それも「ナカ」さんが亡くなってボスと私の二人になってしまいましたしここらが潮時かなと思ったのですが、第3期塾生たちのお願いもあって研究室を残すことになったのです。
新たに「第4期競馬塾」の準備も進められているようですが、まだ休ませては貰えないようです。
次回は「愚かな購入法」と「賢い購入法」についてです。